■ーC ■寄進・奉納 ■イヴェント情報 ■mamo大明神(生前) ■宝物(仏)殿 ■神殿 ■拝殿 ■資料 ■まもる大明神」様について ■変遷
■欄外
個人情報規定 お断り 背景(壁紙)について
「まもる大明神」は、アーティストでごじゃる。
*****ここは「まもる神社」・「まもる大明神」の聖地です。 あなたの夢を応援します。 *****
****アイコンをクリックすると各グループのホームページへジャンプします。****
注:バーチャルリアリティー(仮想空間)に出来た「まもる神社」・「まもる大明神」の聖地です。
あなたもバーチャル神社建設に参加して、自分の夢を実現させませんか。 参加は自由です。
お断り: このページは暫定的なものです。 日々更新します。 更新日:2022(R4).06.18
■ ご意見、ご寄進・奉納等のご相談は、
こちらから。 又は、直接 info@mu-epa.com まで。 なお、金品のご寄進はご辞退申しあげております。
■■
ご寄進・奉納一覧 ■お題 ジャンル (寄進・奉納者) [寄進・奉納日] メモ※画像等をクリックすると関連ページにジャンプします。
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:画像 (柏のケン) [2016(H28).12.04] ;
まもるさんと淡路恵子さんとのツーショット、撮影日1979.06.12
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MamoトリビュートMIX :音楽 (「Rydra」&「NaosisoaN」) [2016(H28).11.21] ;
まもる大明神に捧げる愛の賛歌
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:画像 (柏のケン) [2016(H28).11.20] ;
故鈴木守(遺影)、撮影日不明
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■ご寄進・奉納を募っています。 画像(動画を含む)、音楽、イラストなど、金品を除くもの。
☆ご寄進者さまは、info@mu-epa.com までお知らせください。
*** イベント情報 ***
今月20日(2022[R4]/08/20)、守さんの没後6年目(2016[H28]8/20没)の命日に当たります。そこで彼がかつてお世話になった新宿二丁目のアイララさんでささやかな偲ぶ会を催しを行いたいと思います。会費はありません(各自本人負担)。19時スタート。都合の付く方はご参集下されば幸いです。
■東京都新宿区新宿二丁目15-11 信田ビル1F
■03-3352-3535 ■営業時間:19:00〜
☆イベント情報を掲載ご希望の方は、info@mu-epa.com までお知らせください。
*** まもる大明神さまが神様になられる生前のお姿 ***
※画像をクリックすると大きな画面に切り替わります。
■■宝物(仏)殿
[1] [2] [3][4][1]〜[3]:2016(H28).11.05,06 「偲ぶ会」 [4]:2016(H28).12.04 「まもる御殿」
[5-1] [5-2] [5-3] [5-4]
[5-1]2016(H28).08.20 [5-2]2016(H28).10.25 [5-3]2016(H28).09.05 [5-4]2014(H26).11.01
[5-5] [5-6] [5-7] [5-8]
[5-5]2015(H27).09.30 [5-6]2015(H27).10.03 [5-7]2016(H28).02.14 [5-8]たなご釣りの仕掛け(本人作成、現在手元には残っていない)
[5-9] [5-10] [5-11]
[5-9]*** [5-10]*** [5-11]****
[5-12] [5-13] [5-14] [5-15]
[5-12]、[5-13]釣り師匠と一緒 [5-14]たなごが釣れる水路 [5-15]たなご(産卵期のオスは色がきれい)
[5-16] [5-17] [5-18]
[5-16]この絵の上下が今はわからない。 [5-17]、[5-18]米国の有名なGS(ザ・ローリングストーンズ)のサインとか。
[5-19] [5-20] [5-21] [5-22]
[5-19]、[5-20]、[5-21]、[5-22]山梨・上野原市秋山でのスナップ。
※画像をクリックすると大きな画面に切り替わります。
※現在、調整中です。 「まもる大明神」さまの生前のお写真などお持ちでしたら、コピーをお譲りください。(管理人)
■■神 殿 地上に建つ祠(ほこら)や神殿、やしろ(社)はありません。 人々が集う場所が『神殿』となり、「まもる大明神」さまが見守ってくださいます。
(※現在、調整中です。)
■御 祭 神 : まもる大明神 アーティストを目指す方々を護持します。
■御祭神命日: 毎月20日 大祭: 毎年8月20日
■菩 提 寺 : 真言宗 豊山派 安樂山 観音寺 遍照殿[合祀[ごうし]納骨堂]
■観音寺の本尊様は、寺名に反して不動明王です。
■■
拝殿
■「まもる大明神」さまに捧げる【YouTube】
■
雨の東京【YouTube】 ■
花と嵐も【YouTube】
■
涙の花舞台【YouTube】
※現在、調整中です。
■■資料
■ 明神(みょうじん) 権現(ごんげん) 神道 : [ヴィキペディア]
■■「まもる大明神」さまについて。
○2016(平成28)年8月20日に他界された故鈴木守さん(享年68歳)が無縁仏になられたのを期して、故人の波乱万丈の人生を無にする(忘れさること)には忍びないとする有志が創り出す仮想神社です。
○故人の名を冠した神(仏)の名を「まもる大明神」という。
○大明神の住まいする「社」(やしろ)は、人が大勢集まる場所や時間という空間に存する。
○故人は、特に言葉や記述を残しておりませんので、各自で好きなように解釈してください。
○サイト運営者は、各人がこのサイトの影響でいかようになろうとも責任は負いません。
○当該神社の名において、いかなる場合も金品の販売や寄進(寄付を含む)等の勧誘行為は行っていません。
○各自、お好きなようにお楽しみください。(サイト運営者)
■リンクについてお願い
○リンクは原則自由です。ただし、URLは
index-top.htmlにしてください。
○ロゴは左の画像をお使いくだされば幸いです。[=URL:http://mu-epa.xyz/mamo-jinja/img-mamo/mamoru-big-kami_300wpp.png]
■■変 遷■■
■2016(H28).08.20: 鈴木守氏他界
■2016(H28).08.25:火葬
■2016(H28).08.27:
フェイスブックにスレッドができる。(現在削除)
■2016(H28).09.28:「偲ぶ会」の日時が決まる。
■2016(H28).10.25:観音寺にて合祀される。
■2016(H28).11.05-06:「偲ぶ会」、秋山の矢野氏宅で開催
■2016(H28).11.12:「偲ぶ会」→
友の会に名称変更。
■2016(H28).12.04:有志、「観音寺」お墓詣り。
■2016(H28).12.10:「
まもる御殿・まもる神社」のHP(ホームページ)を公開(随時改定)
■2017(H29).02.16:「友の会メンバー一覧」及び「友の会スレッド」のリンクを削除しました。
■2017(H29).03.20:「観音寺」お墓詣り。
■2018(H30).08.20:新宿2丁目「
アイララ」にて偲ぶ会(有志)を開催。
■2020(R2).03.20:「
観音寺」お墓詣り。 動画を
YouTubeに公開。
■2022(R4).08.20:新宿2丁目「
アイララ」にて偲ぶ会(有志)を開催。
■まもる御殿管理人(墓守)[F.B]
[背景(壁紙)について]
まもるさんが生前手に入れた(1998[H10]年以前)今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 2002年3月3日)画伯作のポスターで、駒込時代に額装し柏で死すまで手放すことがなかった作品を背景として使用している。現在は写真に写っている方が所蔵されている。
秘話として公開する
今日は12月20日で、まもるさんが亡くなってから4か月が経ちました。 これまで公開を控えた話題を少しづつ公開しようと思う。 マモルさんの再起を願って書き留めたものですが、結果として私の夢はかないませんでした。
**記録_2013.03.02〜***のリサさんの他界から話は始まります。
『「リサさん」と「はじめさん」と"守"の関係
「リサさん」が亡くなった。「守」にとっては予期していなかった悲しい逝報だが、「はじめさん」と「マモル」とを再会させる絶好のチャンスを与えてくれた天使様です。ありがとう。(合掌)(2013.03.02)
「はじめ」さんと「マモル」とを再会させたいとの願いがこんなに早く実現するとは思っていなかった。7日の夜に電話があって映画の試写会に誘われた。 その後彼は六本木の「はじめ」さんの店に行ったようだ。 その席で偶然にも「はじめ」さんがホーキさんのFM番組にゲスト出演するする話しがあり、その席に「まもる」も来るように要請されたと言う。 願っても無い良い話しではないかと思っている。 なぜなら、彼ら2人は当時のヒーローであるからだ。 こんな奇跡的な進展は「リサ」さんが「まもる」たちの背後神となって見守ってくれているように思える。 更なる進展を見守りたい。(合掌)(2013.03.09)』 その後の展開はまた来月に。
更なる進展を期待したのだが、こちらの思い道理にはならないようだ。 結局、収録には行かなかった。 その後、彼らからの連絡も途絶えた。放送はその週の金曜日(収録は火曜日)の25時から流れた。(2013.03.30)
半年経った9月になったが、その後の経過は何にも進展していない。(2013.09.15)
再度、はじめさんから連絡があった。 ある意味チャンスだと思ったのだが、台風26号が関東に近づき、実現しなかった。 その前々日、彼は女友達と一緒に友達のところに行くことになっていたが、どうしたことか急に行かないと言い出した。 オンナ友達も一人で行くのはいやだと言い出す始末。 そこで私がその彼女と一緒に行くことにした。
あくる日は、彼と私は彼のお寺に顔を出し、その後、オンナ友達と"気功"の道場へ、そのあと、3人で食事。 新宿に出て買い物。
守は、彼なりの理屈があると思うのだが、つくづく運のない男だと思えてくる。 (2013.10.15)
2014年1月11日、淡路恵子さん(80歳)が亡くなった。 守は彼女とは特別な思い出があるらしく、盛んに私に当時の様子を話してくれた。 21日青山葬儀所で21日、つや(告別式は22日)があるというので出席したいらしい。 (2014[H26].01.14)
彼の手元に'79年6月に写した1枚の写真がある。 淡路恵子さんと一緒にダンスを楽しんでいるショット。 この年と言えば私が7月に結婚した年でもある。 彼が30歳の時の写真である。 彼はこのころホストNo.1を張っていた時代であるから絶頂期である。 思い出深い写真でもある。 彼の彼女を語る話からは、検索でみる彼女の一生とは別世界のようでなんともやりきれない。 涙がこぼれる思いだ。 何としても彼を彼女とのお別れに出席させてやりたいのだが。 (2014[H26].01.15)
今日(21日)、マモルは故淡路恵子さんの通夜に青山葬儀所に出かけることが出来た。 昨年も彼の女友達が亡くなってその葬儀に参列したのだが、そのときもその後の人生展開に期待したのだがモノにならずにいる。今度こそ彼にいい人生展開をともう一度期待したいのだが、どうだろう。(2014[H26].01.21)
話を聞いた。 はじめさんは事情があり後で合流するはずであったが結局合流せず自分ひとり通夜に参列したが、300人近い参列者だったので自分は焼香はせず斎場を後にした。 その後、はじめさんと合流。 彼の贔屓(ひいき)客と3人で食事に行ったこと。 そこで肉やシャンペンを飲んだことなど。 次にはじめさんの店に行ったこと。 昨年、行こうとして行けなかったホーキトクダさんの店にも顔を出したとのこと、など話してくれた。 私としてはまーまーかと思う。 後は運にまかせよう。(2014[H26].01.22)
['17.03.20:公開] 今日は8年ぶりに日本公演が実現した「ザ・ローリングストーンズ」東京公演最終を聞きに行った。 昨年の12月4日に偶然なのだが横浜に仕事に行ったとき地下の通りで号外が配られていたのを貰ったのがきっかけだ。 8年前、本駒込5丁目に住んでいたときに守るの女友達のおいわさんが話を持ってきたときにチケットをうまくゲットしたのだ。 2枚の内1枚は時のクリニックの主治医の奥さん(イギリス人)がストーンズの大々ファンと言うことで譲ってあげた。 今回も先行予約の申し込みを行ったところ、守の友人に頼んでいたチケットが今回も2枚ゲットできたのだ。 今回も日ごろ世話になっているマモルの友人にクリスマスプレゼントとして差し上げることになり、2人で楽しんでいることと思う。(
2014[H26].03.06)
['18.08.26:公開] ローリングストーンズ東京公演の後、はじめさんの店の客で宝石商の人で柳沢さんと少し親しくなりました。彼も釣りに興味があるとのことで多タナゴ釣りを教えるんだと意気込んでいたが、このところ音沙汰がありません。メールでは、今忙しいから今度ね、みたいな返事が返ってきているし、はじめさんからの電話もありません。 (2014[H26].07.14)
['18.08.26:公開] きのう(18日)夜、"はじめさん"から守に電話があった。あとで内容を聞くと亡くなったリサさんのお友達が夏休みで"はじめさん"の店に来るのでこないか、とのことだってさ。会いにいけばいいのに。どうするのかね。
去年富士山麓で開催されていたコンサート、今年は中止とか。矢野さんに電話を入れたらそんなこととか。彼は今恋愛に忙しいとも。かずみさんとの仲もしっくりしないので、夏の秋山での避暑はむつかしいかも。
(2014[H26].07.19)
['18.08.26:公開] 忘れないうちに記しておく。 一(はじめ)さんのお誕生日の報があった。守はそのパーティに参加したいと言うので無理して軍資金を用意したのだが、ふたを開けると行かなかった。いつものパターンで珍しくはないが、なにか金(現金)をにぎると行く気がしなくなるのか、と思うくらいである。これまで何回この手で裏切られたことか。[8月28日] (2014[H26].09.09)
['18.08.26:公開] 昨日、高野さんから電話があって「井本隆」さんが亡くなった、はじめさんも参加するから来ないかという誘いだ。 今日(24日)、葬儀に行くという。 昔彼の店に来たことがあるので、ほっとけないのだそうだ。井本さんは元ヤルルト(東京ヤクルトスワローズ)に在籍したとう投手。昔が今に舞い戻る話だ。結局、葬儀が予定より早く終わっていて参列は取りやめになった。 後日しのぶ会があるのでその時に参加するとのこと。 まただまされた格好だ。[1月24日] (2015[H27].01.24)
['18.08.26:公開] 二三日前、はじめさんから電話があり17日の「三社祭り」に行こうと誘いがありました。 わたしが軍資金2万円を工面して先ほど出かけました。 なくなったりえさんとも関係があったらしい。(2015[H27].05.17)
['18.08.26:公開] 年末から年始にかけてかずみさんと一緒だったのだが、ささいなことでケンかをしたらしい。 帰ってきて2,3日そのことでボヤキ話を聞かされるはめになった。 (2016[H28].01.06)
昨日5月15日は浅草三社祭が行われ最終日に守に誘われて参加した。とはいっても見物なのだが、一般の見物というより、関係者との関係で、祭りの裏側をも垣間見る見物で大変よい体験を経験させてもらった。有難いことである。これも守るの人間関係があったからである。そしてもうひとつの収穫ははじめさんをはじめそのお友達にもあった(紹介)ことだ。これまで守るの口からいろいろ聞かされていたが会って見て合点行く人たちであった。お祭りということもあって遠方から(ロス=ロスアンジェロス:米国)からのお友達やらイラン人、九州(なぜか女性なのに"のぼる"さんという)からと、多彩な方たちでにぎわったのだ。歴史ある浅草三社祭の再会するひと、初対面の出会いで一日は過ぎていった。とても心に残る一日であった。感謝である。 (2016[H28].05.16)
今夜20時30分、鈴木守は天国へ召されました。(合掌) 彼とは15年近く一緒に暮らした仲でした。昔の女友達や釣り友にもお知らせをいたしました。 死に態は、眠るようにして椅子に座って安らかな最後でした。朝はいつもと変わらないのに、私が夕方(16時半近く)に帰ってきたときは帰らぬ人になろうとは。
彼との思い出はそれなりにあるのですが、今は書く気になりません。時がくれば、それなりの思い出を書きたいなと思います。(2016[H28].08.20)
すこし気分が落ち着いてきたので、少し書いてみます。
彼には3つのグループに分けられるように感じます。1番目のグループは、おいわさん(岩崎さん)に通じるグループです。 はじめさん(北野一氏)など守が全盛期のころの時期の人脈です。2番目はかずみさん(川田さん)と出会ってからの今までのグループ。そして、3番目は手賀沼に来てたなご釣りにはまって釣り三昧にできた人脈です。 今回、守の死去で見せた各グループの対応を見てきて、1グループはたいした反応はなし。2グループでは、岡田さん(おかちん)がダントツ彼のために涙したひとりでした。彼には守の残した絵画をもらっていただきました。このグループでは、守さんを偲ぶネットが出来つつあるようです。3グループでは、菊池さんが守のために涙した一人です。菊池さんは2グループの人たちにも通じるルートがある方です。同じグループに属する田中さん(育房さん)は守が信頼を置いていた方なので、守の残したつり道具等のすべて寄贈しました。守は自分の死に場所をこの地(柏市桜台)と決めていた節があります。(合掌)
{2016(H28).09.02記す]
2013年3月にリエさんが亡くなってから3年、マモルが亡くなるまでの私が期待した「マモル−はじめさん」のルートは完全に見込み違いに終わった格好だ。マモルははじめさん側からはたいした存在ではなかったということに尽きる。
意外だったのは、岡田さんと菊池さんのお二人です。 彼らこそマモルのお弟子さんと言えるだろう。彼らの心の中に、マモルの何がしみついたのかは察しがたいが、生き方なのか、考え方なのか、いづれにしても彼らの生き方に何がしかの影響力をもたらしていることだけ確かである。
今後、3つのグループは私から離れていくだろう。{2016(H28).09.10記す]
マモルが他界してから1か月と五日が経った。 この間彼の残した遺品の整理があった。まず釣りに関係した遺品の多くは田中さん(育房さん)に処分の仕方を全権委任した。残りの一部は菊池さんに貰っていただき、その残りはわたしの部屋で保存と展示をしている。 衣類の方は菊池さんに売れそうなものとそうでないものに分けてもらって大半は捨てることになってしまった。 その中で思い出深い物は捨てずに残しておきます。
郵便物は郵便局に言って以後は配達しないようにお願いした。 携帯電話の契約も切った。 ユーチュウブのアカウントの削除、メールアドレスの削除などを行った。 一つ一つがわたしの周りから消えていく。淋しい限りだ。
その中にあって、少しの希望は、ファイスブックの中に「まもるさんを偲ぶ会」ができたこと。近々偲ぶ会が催しされるとの情報あり。 また、中島亮子さんたちの手によってCDやネット公開された鈴木守の謹霊曲が出来たことだ。[2016(H28).09.25記す]
「まもるさんの偲ぶ会」は11月5,6日に開催される事で話は決まりそうです。{2016(H28).09.30記す]
今日は、2017(H29).01.05です。「まもるさんの偲ぶ会」は昨年の11月5,6日に開催されました。そして同年12月4日(日)にはマモルさんが眠る観音寺の遍照殿にお参りも20人の有志により行われました。 偲ぶ会はその後「まもるさんと友の会」と名称を変えて現在に至ります。 まもるさんはその後「まもる大明神」となられ、芸術を愛する者の「守護神」となられました。まもる神社がネット上に公開されました。[2017(H29).01.05記す]
今日は、マモルさん(以後、彼と記す)が亡くなり今は単身になった私の今を記す。 彼が亡くなったことで経済的にはずいぶん楽になった部分があります。生前は100%わたしが扶養していたわけだから、その分が無くなった訳です。 ひとつに"たばこ"があります。彼は洋モクのきざみたばこを自ら巻紙でまいて吸っておりました。 2週間ごとにたばこやさんに買いに行くのはわたしででした。次に税金に健康保険料、介護保険も私が代わりに振り込んでいました。釣友さんの日ごろのお礼にとお茶やつゆ(調味料)を取寄せていました。他にも自分用に化粧品、サプリメント、そしてコーヒー豆、複数のメーカーから取り寄せて飲み比べしておりました。それに仲間のパーティーの参加費等。 それらが一挙に無くなったのです。 でもね、おかしなものです、それらが無くなっても楽になったようには感じないのです。 思うのですが生前、特に柏に越して来て以来経済的には苦しかったはずなのにです。 でもね、今となってみるとそんな感じは全然感じないのです。 彼もよく辛抱してきたと思います。 彼も彼で何とかしたいと思っていたと思う。
今は彼と一緒にいたこと(住んでいたこと)に感謝しています。 ほほえみかける彼の遺影を見ながら元気をもらう自分があります。 彼を思い出しながら涙する時もあります。 [2017(H29).01.08記す]
今日20日は亡くなった相棒の命日です。 お互い辛い日々を送ったのは柏に来てからの8年ではなかったか。 経済状態がそれまでに比べて暮らしにくくなったこともあります。 しかし柏と手賀沼そしてタナゴ釣りに出会ったことは彼にとってラッキーだったと思う。 そして無縁仏
になったことでその生涯を柏に捧げることになった。 そして私の生涯をかけて彼を見守りお祭りすることとなりました。 [2017(H29).01.20記す]
これからは、私の生き様を書いて行こうと思う。
まさか東京で住むことになるとは思いもしなかった私が50歳になったときに勤めていた会社の社長から東京勤務の話が飛び込んできた。当時、メンテナンス部長になって3ヶ月程になっていた。 先輩格の営業部長とは会社の運営方針で何かと折り合いが悪かった。それなので、東京勤務はわたりにふねとばかり単身赴任を承諾した。東京でマモルと生活するとはそのときは思いも付かなかった。 右も左も知らない東京。うまくやっていけるか自信は無かったが、社長の「好きに仕事してください」の言葉に「じゃ、やってやるか」という気分で乗り込んで来たということだ。3月31日になにも持たずに単身であった。 あした4月1日から東京での勤務を告げられてもびっくりもせず出社した。1ヶ月ぐらいは方々のホテル(安宿)を転々としたもんだ。 そんな中、新宿の安ホテルでマモルと出会うことになる。その後マモルが押しかけて来るとは予想外の展開だった。最初の住み家は文京区のkmマンション。ここで8年過ごした。住み始めて3ヶ月ほど経ったころマモルがやってきた。家主とは単身赴任という条件、そこに2人が住んだのだから、最初はマモルを親戚の者ということにしていた。
そこに8年も住む間に後に「増田のお母さん」やマモルの女友達たちが出入りするようになった。 階段に植木を置くようになって注意されたり、メーターボックスにゴミ袋をおいて注意されたり、だんだんと住みづらくなってきた。 そこで中里に住居を移した。ここには2年ほど住んだ。 裏に学校があり朝と夕方に鐘が鳴った。 マモルが学校に「うるさい!」とクレームの電話を入れていた。 我々は2階に住んでいたが、1階の住民が夜中にゴトゴト騒々しいと言う事で何かとトラブルをおこしたことも何度かあった。 ここでの家賃はわたしが払っていたが、定年になって支払いが苦しくなった。そこで今の柏にたどり着いた。マモルは中里でも、柏でも最初はブーブー言っていたが、そのうちに近所に友達をつくるなどしてなんとか適応していった。 [2017(H29).02.04記す]
今日はBグループの事を書く。 フェイスブックに「まもると友の会」のスレッドがあった。 そこを「まもる神社」のHP(ホームページ)にリンクを貼っていたのですが、2月16日に見たら、リンク切れになっていた。 マモルが亡くなってから半年(20日には)、今となってはスレッドの役目が果たせたと言うことで管理者が削除したものか、グループ内に問題が起こって削除したものか真相は分かりませんが、この削除によってBグループとの連絡手段がなくなりました。(グループ内の個々の個人的な連絡はありますが)
残念というか、寂しいというか、悲しくなった次第である。 そうはいってもお互いの生活がかかっており、いつまでも関わっていられないという事情もありましょうから、切れたことはいたしかたがありません。
それに伴い、各メンバーのアドレスを記録した一覧のページにもリンクを架けていたが、スレッドが無くなった以上、メンバー一覧により迷惑がかかることが予想されるのでこのリンクも削除しました。スレッドのリンクがいつ削除されたかは不明です。(10日には繋がっていたように思う。) 今後のA、B、Cグループとは繋がりがなくなってしまいました。 [2017(H29).02.17記す]
昨日の話。 「柏友会」という糖尿病の患者の会の新年会に参加した。その後に王子の事務所に行って来週の点検先のチラシをつくりそのチラシを配布するため西新宿に行った。 半年前の同じ曜日が思い出される。 昨日は18日だが半年前は20日。 私と一緒に生活を送っていた友が他界した。 もう半年が過ぎたのかと思うと時間の速さに驚かされる。 配り終えてしばらくご無沙汰している中野のナビオに顔を出すことにした。 行ったら偶然だろか真里さん(杉真里)が来ておられた。 席についてしばらくすると他の客がお帰りになり、マスターとママ、私と真里さんの4人きりになった。 お互いに何曲か歌ったころマスターから夕食の話がでて、結局お隣の食堂で食事することになってママと真里さん、私の3人はお隣で食事をしたのだった。 その後、私は真里さんと別れて「さん花」に寄ることにした。 そこでも予期しなかった"ときさん"が来られたのだ。 こんなラッキーなことはめったにない。「マモル大明神」のおかげだと感謝の念で胸がいっぱいです。 [2017(H29).02.19記す]
今月('17年3月)11日、あの震災から6年が過ぎました。マモルさんの故郷釜石は地震のあとの津波で大被害をこうむりました。 彼の友人の方々の中にも命を落とされた方がおられやも知れません。ご冥福を祈られずにはおれません。(合掌) あくる日12日、私とマモルの魂は香取市(千葉県)にある「香取神宮」にお参りしてきました。 [2017(H29).03.13記す]
久しぶりに中野のナビオへ顔を出した。 そしたらママが2枚のチケットをあげると言う。4月6日に小岩でのチケットだった。 それを有り難くいただいて、その足で京成小岩の「よりみち」さんへ。ママにチケットをなじみの客にあげてほしいと頼んだが、昼間の公演なので私たちが聞きに行くと言う。有り難いことだ。 [2017(H29).03.25記す]
3月29日、杉真里さんが京成小岩近くの"より道"に顔を出してくれました。
4月9日、JR小岩駅近くの"ヒットパレード"でエンカホン所属のプロ歌手4人によるイベントがありました。 あいにくの雨の中、各タレントさんのファンの方々が大勢詰めかけて盛大の内に終わりました。 もちろんのこと杉真里さんも三原綱木さんも参加されました。ナビオのママ、マスターも聞きに来られてました。"より道"のママと妹さんも参加され大いに楽しまれました。
8月20日、昨年亡くなった俺の相棒「まも」の1周忌法要が無事に終わりました
。彼の友人たちの力に支えられ法名も位牌も授かりました。有難いことです。 22日には、歌手の「藤圭子」さんの故人を偲ぶ会にも参加し、新宿にある「西向神社」や「花園神社」をファンの皆様と一緒にお参りもいたしました。そこで知り合った方のお店(新宿ゴールデン街5番街)にも寄せていただき改めて新宿と言う町が好きになりました。
娘の彼氏にも会うことが出来ました。 そうそう、8月2日、中野の小劇場というところで「杉真里」さんとジュエット曲「52階のスカイクラブ」を謳うという快挙もありました。 [2017(H29).09.24記す]
2017年平成29年も余すところ30日を切りました。 今年の出来事から思い残す事柄を記しておきます。 8月20日のマモルさんの1周忌法要ができたこと。 同月22日藤圭子さんの法要に参列できたことで新宿のゴールデン街を知ることとなった。そこの近所にある花園神社をお参りするようになりました。 9月28日には杉真里さんと松尾和子さんのお墓参りもしました。
11月26日、元妻の義父が亡くなられた。93歳の天寿を全うされました。あくる27日の朝に息子からそのことを告げられ、涙がこみあげてくるのでした。8月に娘から義父の様態が芳しくないと知らせてくれた時年は越せないかもしれないと思いました。 お見舞いすることもできず残念である。冥福をお祈りするばかりです。(合掌) [2017(H29).12.05記す]
■欄外
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※ 日本の仏教は支那(今の中国)や朝鮮半島から伝わった故に「大乗仏教」の世界観で語られることが多く、護国守護から民衆の救済へと発展し今日に至ります。
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